2021/7/17 第43回経営者モーニングセミナー

今週は、御陵の仲間お二人によるW講話。W講話の醍醐味は、人となりを互いに知れることにある!普段、モーニングセミナーで会うだけの人からはあまり生い立ちや過去のことが聞けませんが、今回もお二人の講話で、過去から現在まで時間以上に濃厚な時間が過ごせました。二人とも大好き!


講話「喜んで受ける柿原崇之 堺市御陵倫理法人会 実行委員(柿原建設 代表)

着馴れないスーツに革靴。
新鮮な思いと幾ばくの緊張感と共に講話する柿原氏。
1985年4月22日に和歌山市で産まれ、大阪熊取町で35年間過ごす。
高校生活はわずか1年足らずで中退。
暴走族に入るなど、やんちゃな時期も過ごした。
そんな時、バイクの事故で起こし、「このままではいつか死ぬ」と改心し、暴走族を引退。
16、17歳の頃は、ガソリンスタンドでバイトに明け暮れる日々。
その後、社会人となり1社2社と経験し、体力には自信があると考え“大工”になる事を決意。
だが、25、26歳の頃は肉体的にも精神的にもボロボロの状態で、毎晩のように飲み歩く日々が続く。
そんな中である事件を引き起こし、20日間の拘留を受けることに。
勾留後、当時預かってくれていた親方のもとへ決死の覚悟で向かう。
そして、衝撃的な言葉が... 『俺にもそんなときがあった。』
普段現場では厳しい親方が優しく受け入れてくれた事に感動し、親方クラスになるとこんなにも器が広いんだと感銘を受ける。
自分もこんな人になりたい!と、独立を目指し、孤軍奮闘・粉骨砕身し、30歳で独立を果たした。

2、3年は仕事の少ない時期が続いたが、その後それなりに仕事に恵まれた。
が、ある一方で何か足りないと満たされていなかった。
そんな時、御陵ではお馴染みのYouTube講演家 鴨頭嘉人氏(練馬区倫理法人会 相談役)氏のYouTubeと出会う。
そして、“違和感を喜こんぶ by 鴨頭嘉人”で、『喜んで受ける』実践を訓練していく。
自らのコンフォートゾーンを飛び出して、まだ見ぬ自分に出会いにく。
講話の依頼があった時も、当初は無理だ嫌だと思い、一時は退会まで考えた。
が、深井会長が泉北ホームで話をする時間を作ってくれ、沢山の応援メッセージを貰う。
そして、一念発起して更なる違和感を求めて倫理で学び続けると誓い、講話の実践につながった。



講話「コロナ禍で気付いた大切なこと西山毅 堺市御陵倫理法人会 実行委員(大阪市立大学大学院 消化器外科学)

大阪市立大学医学研究科 消化器外科学所属。
1991年1月19日大阪枚方市で産まれる。
医師を目指し学業に励む学生時代は、ある程度の年齢で仕事は引退したいと考えていた。
しかし、病院で働き始めて思考が徐々に変わっていく。
70代で精神的にも、肉体的にも元気な人たちは、漏れなく仕事をしている人たちだった。

2019年4月、大阪市立十三市民病院に入職。
そして1年後2020年4月14日、十三市民病院がコロナ専門病院になるという衝撃のニュースが世間を賑わせる。
複雑な想いを抱えたまま、5月には山本第三病院に転籍。
仕事三昧の日々を過ごし、ワーカホリックと揶揄さるほどだったが、それはあるDr.との出会いや仕事に本気で向き合う看護師との出会いにも因るものだった。
万人幸福の栞 P72【勤労歓喜】にも記されている通り、生活の大部分を占める“仕事”。
自分はなぜ医者なのか?と自問自答を繰り返す。

ある日、歯磨き中の歯ぐきからの流血で歯医者に行くことに。
『歯肉炎』と診断され、3回ほどの治療で済んだが、通院後に心からのありがとうと言う気持ちが芽生えた。
そして、自分もそんな仕事をしているんだ、と感じ、医者は治すだけではない、“勇気”“希望”“安心感”を与えられる素晴らしい仕事なんだ、と再認識するのであった。

同じ頃、かつて自分が担当した患者さんでもある、70歳を過ぎて尚現役のタクシードライバーさんと再開した。
その日彼は余命3ヵ月と告げられていた。
話す時間が欲しく、彼が運転するタクシーに乗車することに。
そこで、涙ながらの『まだ生きたい!まだまだ、やり残したことがある!』との訴え。
自分は、そんなことが言える70代になれるのか? 
そうとも、そんな死んでも死にきれない男になる!!



モーニングセミナー後はいつもの通りアゴーラ最上階サファイアの間で朝食交流会にて気付きをシェア。
素敵な一日の始まりとなりました。


(講演者に掲載の許可を得ています。無断転載は禁止させていただきます。)