2021/6/26 第40回経営者モーニングセミナー

今週は、堺市御陵の仲間であり普及拡大委員会の副委員長でもある松原さんのご講話。沢山の仲間の応援がありました。大切な仲間の“死”を乗り越える精神力とバイタリティー。かっこいい中にチャーミングさ。今では、沢山の取り組みでもっと知りたくなる講話でした。沢山の人に支えられた松原さんは、その当時支えらた分、それ以上に今は沢山の人たちを支えていると感じました。


講話「人に支えられて生きている松原壮志 大阪府倫理法人会 普及拡大委員会 副委員長(株式会社松原工務店 代表取締役)

1981年3月27日、鹿児島県で生を受ける。
生後9か月の時に喉に腫瘍が見つかり、命の危険を迎える。
その際に父が母へ衝撃の言葉を放つ、「ダメならまた作ればいい」と。
(言うまでもなく母は大激怒。)
そんな父は、佐川急便で夜中まで家族の為に働き、休日は目いっぱいの家族サービスをする最高の父だった。
また、生まれた時には亡くなっていた、厳しかったという祖父と同じ踵の特徴があり、祖父の生まれ変わりと称えられる。
そんな、松原氏の幼少期は空手の道に没頭する。

中学に入ると、学年のマドンナと付き合ったことをきっかけに、サッカー部でイジメにあう。
そんな時、いじめられていた松原少年の傍には2人の仲間ーS君とK君がいた。
しかし、S君は塾の授業中にアレルギーで急遽息をひきとってしまう。
そんな経験も経て、自身は漫画レベルのヤンキーに。
卒業式には、赤の特攻服で登場。
それでも、そんな松原少年をずっと気にかけてくれ、卒業後も手紙をくれる担任の前田先生には今でも深い感謝、尊敬の念を持っている。

その後、松原職業訓練専門学校で大工職を学ぶ。
厳しい訓練を受け、入学当時72人居た同級生は卒業時には14人となっていた。
1998年4月コアー建築工房に入社。
しかし、入社後もすぐには抜けきれないヤンキーの名残で、暴走行為で警察の御用となる。
2ヵ月の鑑別所生活。
にもかかわらず、母親から衝撃の一言をきく、『2ヵ月分の給料、振り込まれているよ!』
そんなコアー建築工房の吉瀬社長(大阪府倫理法人会 相談役)の懐の大きさが松原氏を真っ当な道へと引き戻してくれた。
(吉瀬相談役 談; サラリーマンは、職人と違い日給月給ではない。
 月給のサラリーマンに給料を払うのは当たり前。
 自分の常識と彼(松原氏)の常識がうまくずれていただけだ。)

その後、22歳で一人親方として独立。
その後、右往左往しながらも順調に業績を伸ばしていく。
そんな時、中学時代に松原少年を支えてくれたK君が亡くなったことを知る。
Facebookでは、会社を経営しながら順調に見えていた。
人には、会ってみなければその人の本当の状態がわからないのだと気付き、会っていれば自分にも何かできたはずだと深い後悔を経験。
中学時代に自分を支えてくれた2人はもうこの世にいない。

沢山の、酸いも甘いも経験した松原氏の松原工務店では
【企業理念】感動・信頼・楽しむ環境を創り続ける
【ビジョン】楽しみはここから始まる
を掲げ、現在、社内外問わず沢山のイベントや研修を行い、様々な取り組みをしている。
障碍者の支援や学生支援、海外支援まで。
使命感を持って、日々邁進している。



会員スピーチ 赤澤 克弘 実行委員(株式会社松原工務店)

株式会社松原工務店の社員である赤澤氏。
入会のきっかけは、公私ともに上手く行かない日が続き、松原社長からの助言だった。
モーニングセミナーに参加すると、日本創生の歌をついつい口ずさむほど、モーニングセミナー参加後にはパワーがもらえている。
吉瀬相談役に倫理指導を受けて、自身のネガティブな言葉に指摘を受ける。
そして、まず“会社の為”と望むなら、社長に何を求められている人材なのか聞くことを命じられる。
思い切って聞いてみたところ、仕事内容についてではなく、『赤澤君の成長を望む』という返答があり、感銘を受けて成長を誓う。
100日実践には、2日に1回のランニングと、毎朝7:30までに出社して会社の草むしり等の清掃活動を実践中。
変化している自分に気が付く。
そして、どんどん倫理実践を増やしていきたいと切に願い、欲している自分がいる。
実践の連続で成長を誓う!


また、本日も御陵に新しい仲間を迎え、入会式を執り行うことができました。
  柴山 僚太さん(株式会社OSGコーポレーション) 
共に学んでいきましょう、今後ともよろしくお願いします。 
(会長は恒例のお花スタイルにて)


モーニングセミナー後はいつもの通りアゴーラ最上階サファイアの間で朝食交流会にて気付きをシェア。
素敵な一日の始まりとなりました。

(講演者に掲載の許可を得ています。無断転載は禁止させていただきます。)